「仙台石」とも呼ばれ、全国にその名を馳せてきた名石「井内石」。その歴史は古く、文永五年(西暦1268年)に建てられた宮城県河北町の板碑に使われているのが確認されています。石質は黒くどっしりと重厚感があり、美しい石目が特徴で、文字を刻むと鮮明な白が浮かびあがることから、明治以降各地の記念碑、墓碑に数多く利用されてきました。東京の立憲記念碑、仙台の瑞宝殿、亀岡八幡宮、塩釜神社、松島の瑞巌寺の石碑など、いまでも日本各地でみることができ、遠くサイパン島にある旧日本軍の慰霊碑にも井内石が使われています。墓石界では"至高の石"と称され、山形の文人斎藤茂吉が「父のために」と墓標の石を稲井に求めにきたという逸話も残されています。
宮城県東部に位置する港町石巻。市内の中心からやや東寄り、石巻湾に注ぐ旧北上川沿いに「井内石」の産地稲井地区があります。井内石はこの地「牧山」という山から産出されます。牧山の岩石層は、砂質粘板岩、粘板岩から成り、そのなかには数メートルから十数メートルの板岩が挟まれていて、石層は約250メートルに達するといいます。この砂質粘板岩が「井内石」として知られるもので、牧山は全山この石で構成されています。
石質は黒くどっしりと重厚感があり、美しい石目が特徴で、文字を刻むと鮮明な白が浮かびあがることから、明治以降各地の記念碑、墓碑に数多く利用されてきました。東京の立憲記念碑、仙台の瑞宝殿、亀岡八幡宮、塩釜神社、松島の瑞巌寺の石碑など、いまでも日本各地でみることができ、遠くサイパン島にある旧日本軍の慰霊碑にも井内石が使われています。
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